独書は毒っしょ

読書の記録

独書日記34〜『現象学入門』竹田青嗣〜

こんにちは、うどくです。

皆さんはオートロックで失敗した経験はありますか?

私は部活の大会でホテルに泊まったときに、鍵を持たないで部屋を出るということをよくしていました。

それならフロントの人に迷惑はかかるものの何とかなりますが、先日家の鍵を持たずに自販機に飲み物を買いに出たということがありました。

夜も深い時間で、人も出入りもなくオートロックに締め出されてしまったわけです。

結局業者を呼んでお金を払って解決したのですが、痛い出費でした。

この本は、業者を待っている時に凍えながら読んだ本になっています。

 

 

 

今回読んだ本は竹田青嗣現象学入門』です。

現象学といえばフッサールが有名ですが、高校倫理では判断停止(エポケー)という用語しか扱われずさっぱりだったという印象があります。

この本を手に取ったのは〇〇現象学という本を読むために、まずは現象学を知っておこうということで読むことになりました。

 

 

 

以下は本の紹介と感想のパートになります。

 

 

 

 

この本は、現象学がどのような問題を扱いどんな意義を持つ学問であるかをフッサールの思想に戻って解説しています。

 

現象学とは?

フッサールが創始した哲学分野の1つ。デカルト以降、問題視されてきた<主観/客観>の問題に対する一つの解法を提示した思想になっている。

<主観/客観>の問題とは私たちが認識しているもの(主観)と認識されているもの(客観)の一致を如何にして示すかという問題である。

これに対してフッサールは<主観>の側から<客観>を説明しようと試み、「原的な直観」が人間にとって自由にならない存在として現れることで、<主観>の外の存在を確信することができると説明した。

この「原的な直観」とは、日常生活において生じた疑念を検証する際に用いるものである。

ex.)目の前のものをりんごかどうか気になった時、手に取って質感を確かめたり、齧って味を確かめたりする。私たちはその時に心に生じる感覚(直感)をもって判断する。

 

大体はこんな感じだったと思います。

(本文ではもっと専門用語を使って厳密に議論されていましたが、)

現在の現象学に対する批判を取り上げそれに反論する形が取られていましたが、そのような批判に至る哲学史的な経緯も取り上げられていて勉強になりました。

 

自然科学の隆興と人文科学の停滞の影に<主観/客観>の問題を見出す議論は興味深かったです。

自然科学が扱う世界は理理想化された「理念世界」であり、私たちが日常を送っている「生活世界」とは異なるものとフッサールは言います。

科学はもともと「理念世界」を「生活世界」をより良くするための手段でした。

しかしのちに科学は目覚ましい成果を上げ、自身の体系を無限に押し広げることを自己目的とするようになります。。

つまり生活世界が目的のために様々な検証がなされる手段に成り下がったのだと主張します。

その帰結こそが、人文科学にがイデオロギーの対立、相対主義懐疑主義の前に挫折してしまったことだと彼は考えました。

 

 

この議論が科学の側からどのようにみなされるかはわかりませんが、一つの歴史の見方として面白いと思いました。

現代で言うと、ビジネスが何事にも入り込むようになってきましたが、ここら辺に関連した似たような議論が展開できるのではと思いました。

(思っただけで上手く纏まりませんでしたが、、)

ただ人文学において、その研究において物事を単に対象とみなしてしまっては問題を捉えきれなくなってしまうのではと言う視点は忘れないようにしたいです。

特に差別の問題に関しては、差別を被っている人を単なる対象とみなして行う研究だけでは何か大切な何かを見落としてしまう気がします。

その人が何を感じ、何を考えたかと言う、相手の立場に立った研究も大事なんじゃないかと思いました。

 

 

 

今回の感想はこんな感じです。

メモを取りながら本をとるのが、しっくりこなかったこともありどうしようかなと悩んでいましたが、自分にとってフィードバックになっていい気がします。

ただ、厳密な議論についてブログ上で振り返るのもなあと思う部分もあります。

他の人はどうしているのでしょうか。

次回は今回若干触れた〇〇現象学と題された本の感想にしようと思います。

ただテーマはもっと触れやすいものかと思うので、読みにきてもらえたら嬉しいです。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます😊

次回も楽しみにしていてください!

 

 

独書日記33〜『水と礫』藤原無雨〜

こんばんは、うどくです。

私ごとではありますが、電子書籍デビューを果たしました👏

本は紙でこそ棚に並べてこそなんぼと思っていましたが、新しいものに手を出さないのは良くないなと思ったというのがあります。

実際、横になって読むときは電子書籍は楽だなーと感じています。あとは、洋書で難しい単語に注がつく機能があるらしいので挑戦してみたいとも思っています。

 

 

今回読んだ本は藤原無有『水と礫』です。

先月大きな本屋さんに行ってジャケ買いをした一冊です。

あらすじを見た限りでは好みのものではなかったのですが、スマホをいじっていると自分の好きなものしか画面に出てこないので意図的に外すのも大事かと思っています。

ネットで本を買うのも楽ですが、新しい出会いのある本屋にも月1では足を運びたいものです。

 

 

 

以下、感想パートです。

 

 

 

あらすじ

東京に出稼ぎに出ていたクザーノは職場で事故を起こしてしまい故郷へ戻ることになる。何にも手につかなかったクザーノだが、弟分の甲一を追い砂漠を越える旅を出る。

 

あらすじだけ見るとなんてことない気もしますが、この作品は 所謂ループものとなっています。

繰り返されていく中でクザーノの親の代、子どもの代へと描かれる幅が広がっていきます。それによって、前は丁寧に描かれていたことも簡略化されたり、省略されたり、違っていたりしていました。

東京、クザーノ、出稼ぎ、砂漠というワードから主な舞台は海外かと思われたかもしれませんが、そうとも言えません。本文では、クザーノの故郷から東京へはバスと電車、新幹線で行けると書かれています。

また甲一という人物も不思議なことに、繰り返されるパート毎に少しずつ違った境遇に置かれた人として描かれていました。

こういうことが相まって、ファンタジーというか幻想的な雰囲気の物語になっています。

 

テーマとして人生というのが、据えられているのかなと思いました。

クザーノ)

「お願いだ、お前から人生なんて言葉は聞きたくない。こんなに悲しい言葉はないんだ。・・・」

「お爺ちゃんはな、今まで生きてきたすべての風景を、これから生きるすべての風景を人生なんて言葉でまとめちゃいけないと思っている。世界はそんなに簡単にできちゃいない」

「お爺ちゃんの風景にはな、お婆ちゃんの風景も入っているし、父さんが見た風景も入ってるし、お前の見た風景も入っている。お爺ちゃんにも父さんや母さん、妹もいた。どの父さんにも父さんがいてお爺ちゃんがいたんだ。その皆が見た風景が、お爺ちゃんの見てきた風景が詰まっている。お前にも同じようにお爺ちゃんの見てきた風景が詰まっている。人生なんて言葉はそれを全部忘れることだ」

「お爺ちゃんの中は、お爺ちゃんの知ってる大切なこと、知らない大切なことでいっぱいなんだ。紅茶を飲んだり、葉巻を喫ったりしているときに思い出すんだよ。見たこともないことを思い出す。誰かの見た風景だ。人生なんていうのは、人間がひとりじめする風景のことだ。でも、そんなものは無いし、あっちゃいけない」

これはクザーノが孫に向けて言ったセリフです。

このセリフはとても暖かくて、感動しました。

自分の生には、自分だけがいるのではない。綿々と繋がってきた人たちも自分の人生にいるというのはなんと心強く優しい考えでありましょう。

個が強調されるている中でこのような考え方をは私にとって心の支えになりました。

自分にも他人にも優しくなれる言葉だと思います。

繰り返しの中で、描写の簡略化、省略、差異があるのも、過去を懐古したときに生じるものになぞられているように思われました。

 

話が進んでいくにつれてどんどん話が膨張していくのですが、最後は調和した感じで終わるのは不思議な感じでした。

繰り返しの描写に多少飽きを感じましたが、楽しめました。

幻想的で他の小説とは違った感じを味わいたいときにおすすめの1冊です。

 

 

 

 

 

今回はこんな感じです。

こういうループものだと『百年の孤独』なんかが有名ですね。世界文学の大作などと評されているのをよく目にするのでどこかで挑戦したいものです。

冬休みは短いですが、何か古典の大作に挑んでみよかな、、

ちなみに更新が前回から一ヶ月空いてしまいましたが、本はそこそこ読んでおります。ただ文章を書く心持ち出なかったのでこのように滞っておりました。

これから随時更新していきたいと思います。

尚「最近読んだ本」とすると記事を振り返ったときに見た目が貧相になってしまうと思ったのでしばらくは1冊ずつ感想を上げていこうと思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます😊

次回もぜひ楽しみにしていてください。

独書日記32〜最近読んだ本③〜

こんにちは、うどくです。

最近寒くなってきたことには前回も触れましたが、北の方では雪が早くも降っているようで驚きです。今年は雪のない冬ということでなんだか変な感じです。

寒いと布団から出たくなくなってしまうのでエアコンをつけて暖かい部屋で寝ているのですが、そうすると眠りがだいぶ浅くなってしまうので困っています。

そんな訳か昨日は6時間も昼寝をしてしまったので、当然夜も寝れず積んでいた本の一部に手を伸ばすことになりました。

以下が今回読んだ本です。

「少年と犬」馳星周

あらすじ

東日本大震災により飼い主を失った犬、多聞は西へ西へと日本列島を横断して行こうとする。その度の中で、いろいろな人間と多聞が出会い様々な物語が紡がれていく。

 

 

このような動物を扱った作品を読むことはあまりなかったのですが、ニート東京でラッパーが著者である馳星周を薦めていたので気になり手にとった1冊です。

直木賞にも選ばれていて話題にもなっていたような気がします。

主人公は犬の多聞なのですが、旅していく中で飼い主が次々変わっていき、その飼い主ごとに一つの短編となっています。いわば連作短編集のような小説ですね。

 

 

中でも私が好きだったのは、2章の泥棒と犬です。

この章では、多聞は外国人強盗犯の手に渡り一緒に行動することになります。その中で強盗犯の母国での辛い過去が明らかになっていくようなストーリーになっています。

 

犯罪は悪いことで、それを犯した人が裁かれるということは当然のことです。しかし、そのバックボーンを知ってしまうと本当にそれだけでいいのかという気持ちになります。

ここで出てくる強盗犯も幼い頃から親を不幸にも失い生きていくためには犯罪をしなくてはならない状況にあり、その道から外れることができないまま今に至ったという感じでした。

犯罪者はなるべくして犯罪者になったのではなく、自分を取り巻く環境を鑑みた際に消去法的にそうなることを選んだのです。こういったことを考えると、この責任は全て個人に帰されるべきなのかとも考えさせられます。

社会の歪みは直接は表出しませんが、このように個人を媒介して犯罪という形で現れてくるのでしょう。

 

こんな感じで各章では違った形で社会問題に触れられるような内容になっています。

結末はよめてしまう部分はありますが、それでも感動することは間違いありません。

犬好きにハマることは間違いありませんが、特別犬が好きなわけでもない私でも十分楽しめた1冊でした。

 

ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編 ③』衣笠彰吾

あらすじ

真夏の無人島で、全学年で得点を争う特別試験がついに開始された。その内容は一定時間ごとに指定の場所に訪れることと島の各所で行われる課題をクリアしていき点数を重ねていくというもの。主人公綾小路は1年の七瀬翼と行動を共にすることになるが、、

 

追っているシリーズの最新作ということで今回も手に取りました。

ラノベを追うのは、連載中の漫画を単行本で追っていくのと同じような感じでどうしても、1冊1冊の間に時間が空いてしまうのがまどろっこしいと思ってしまいます。

 

内容としては大規模オリエンテーリングのようなものになっています。

あくまで前哨戦というか盛り上がるのは次巻と感じさせるような内容でしたが、十分楽しめました。

人間味がないように描かれていた主人公が、打算だけで行動しなくなっているようになってきている点など、ステリー展開とは別の変化も垣間見えました。

 

ただ2年生編が始まり登場人物が一気に増えたので、一人当たりの登場機会が少なくなってくるのは少し残念な部分もあります。

このような大きなイベントの様子は、様々なキャラクターからの視点を別冊で扱ってもらえたら、、と少し期待しております。

 

『コンビニの闇』木村義和

概要

毎日たくさんの人が利用するコンビニ。しかし、そのコンビニを経営するオーナーの労働環境は決して芳しいものではなかった。その理由は加盟店オーナーと本部の非対称的な関係にある、、?この疑問への徹底的に調査・検証がまとめられた1冊。

 

最近コンビニでバイトを始めたということで気になって手に取ってみた1冊です。

その内容はほとんどフランチャイズ契約の仕組みを扱ったものでしたが、ここについてもあまり詳しくなかったので興味深い内容で楽しめました。

 

この本で闇と語られているのは、

・コンビニ会計

ドミナント戦略

・オーナーは労働者ではない

という問題です。

 

・コンビニ会計

これはフランチャイズ契約をしている上で、本部にロイヤルティ(権利使用対価)を払わなければならないのですが、その計算方法がコンビニ独特だというものです。

その問題点は、加盟店がたくさん商品を発注すればするほど本部は利益が出るが、加盟店は廃棄商品の負担を負わねばならず赤字になってしまうというものです。

ドミナント戦略

これは本部側の意図として特定の地域にその会社の商業圏を形成し競合他社を締め出すため、近くに同一チェーン店を次々と出店させることです。これにより元からあった店舗の売り上げが落ち経営が落ちてしまうというものです。

・オーナーは労働者ではない

これは、オーナーは本部との契約内容に意見がしたくとも弱い立場にあるため意見がしづらい状況にあります。そうしたときに団体交渉権などを行使したくなりますが、コンビニオーナーは労働者とは認められていないため契約内容に対して対等な立場から意見ができないのです。

 

ざっくりこんな問題点があるようです。

指摘されていたことで面白かったのは、コンビニをインフラとして認められたことでコンビニ側の負担が増えたことです。

コンビニは大きな企業が元になっていますが、実際に店舗を経営しているのは個人のオーナーであるためインフラとして様々な業務を扱わなければならないことは単純に負担になってしまいます。

コンビニは大きな組織ではありますが、その各店舗は個人経営であるということを忘れがちだと気付かされました。

最低。紗倉まな

あらすじ

それぞれの形でAVに関わっていくことになる四人の女性が描かれている連作短編小説

 

以前読んだ紗倉まなさんの小説がとても自分にとてもはまったということでデビュー作の本作も読むことにしました。

(以前読んだ『春、死なん』は野間文芸新人賞にノミネートされてましたね)

今作は『少年と犬』と同じく連作短編小説となっていて、4人の女性がそれぞれの形でAVとか変わる様が描かれていました。

最初の3章では自ら出演していくのですが、最後の章では親がAVに出演していた娘を描く内容となっていて少し趣向が違ったものになっていました。

4つの章の中で、私が好きだったのは2章 桃子だったので、それについて話していきたいです。(章の名前はそれぞれに登場する女性の名になっています)

 

章の概要

仕事を失った石村は旅先で偶然出会った福渡に誘われAVプロダクションを設立することになる。その女優第1号として雇われたのが桃子で、田舎から出てきた彼女は石村とともに一緒に住むことになって、、

この章では、AV女優を斡旋する側の視点から描かれており色々考えさせられるものがありました。

ビジネスでものを考える福渡とどうしても情に傾いてしまう石村の違いが現れている部分を引用します。

石村「ええ。でも僕は女の子を売り物にしたいわけではないんです」

・・・

福渡「善意に溢れていることは決して悪だと思わないが、経営していくうえでその本音を軸にしていくのはさすがにのれないな、石村さん。・・・商品価値を高めることが重要なのはなにも、この業界に限った話じゃない。ブランドものだってそうだろ。大したつくりじゃなくてもあんなに高いのはネームバリューだ。ロゴを貼るだけで数百万って価値を生み出すのが本当にうまい経営のこつなんだよ。・・・」

人を”人”として扱わないというか、もののように扱うことに違和感を感じている石村の気持ちはわかる部分が多いのではないでしょうか。

しかしこのような場合に限らずいろんな場面で自分自身もそのように人に接することがあるとも思うのです。

 例えば、接客をするスーパーの人は私たちにとってそれ以上でもないしそれ以下でもない存在ですが、彼ら/彼女らを店員として接することと”人”と接することとは違うと思うのです。

なぜなら、もしその店員が店員をこなすために必要なスキルを十分に備えたロボットであったとすればそのことに気づくことができないと思うからです。

私たちが店員に期待するのは店員としての仕事を不足なくこなすことであり、それが遂行されること以上のことは求めておらず究極的には人間である必要はないと思います。

(人間でないというよりは自分じゃなくてもいいという代替可能性として考えられるかもしれないですね)

このような考えを敷衍すると、誰のことも”人”として接していないんじゃないかという気持ちに陥ります。

誰かと接するとき、意識してなくとも相手に何かを求めている節があると思います。 それは一つに限らないかもしれないし、簡単に言葉にできないものではあるかもしれません。

ただしそれを満たしてくれないと感じたときにその人との関係は疎遠になってしまうのではないでしょうか。それが恋人であれば破局という形で。

自分はそんなことないと思うかもしれませんが、それは独りよがりなものかもしれません。

この章の最後には、桃子と付き合うようになった石村がお金のためにAVの過酷をこなす桃子を不憫に思いお金を渡して実家に帰るように促します。

それに対し桃子は「そういうことじゃない」と言い北村のもとを去っていくのです。

これは、桃子が石村にカッコ付きで「可哀想な子」と思われていたことに失望しての行動だと思います。桃子にとっては自分の境遇がどんなに客観的に見れば不便だとしても、それが自分でそこに一種の誇りを感じてすらいたのではないでしょうか。

しかし石村はそんな桃子の全てを肯定することはできなかったのです。桃子の一部を「可哀想」と括弧をつけて桃子から切り離そうとしたのです。

1人の人を丸ごと肯定することはできなかったわけです。

石村の行動は決して悪いものではないかもしれませんが、そこには石村も結局は桃子の全てを桃子として見ることはできなかったということでしょう。

そうは言っても、ここでの”人”としての関わりは体力のいるものではあり現実的ではないかもしれませんが、このことに自覚的でありたいものです。

 

 

『生まれてこないほうが良かったのか?』森岡正博

概要

長い間問題とされてきた「生まれてこないほうが良かったのではないか」という思想に関連しれ、古代ギリシャやインドの思想からショーペンハウエルニーチェ、ベネターの哲学を概観する。それを踏まえて、反出生主義を超克し誕生を肯定することを試みる。

以前ベネターの反出生主義の本を読んだので今回この本を手に取ることにしました。

この本はいろいろな思想が扱われますが、どれも丁寧に解説がなされているので勉強になります。

出生が善か悪かという観点からいろんな哲学者の思想を学べるのも面白かったです。

 

特に印象に残っているのはブッダの哲学とニーチェの思想でした。

ブッダの哲学

仏教しそうといえば輪廻思想が特徴ですが、苦しみに溢れた生から解脱を目指すこの思想はつまりもう生まれてこないことを望む反出生主義的側面があると一見考えられます。

しかし著者はこれを反転させるのです。輪廻思想では人間以外の生物に転生することもありますが、涅槃となり解脱が叶うのは人間になったときだけです。

そこから「人間として生まれてきて良かった」という正反対の帰結がもたらされるのです。一方次に生まれることは拒否していることから出生を拒否する面もあるこの思想の2面性が指摘されるのです。

このような逆転の発想は、常に持っておきたいと思いました。

ニーチェの哲学

「神は死んだ」で有名なニーチェですが、彼の哲学は強く人生を肯定するようなものになっています。

その根幹をなす永劫回帰や運命愛の思想は個人的にはとても好みでした。

永劫回帰とは一つの経験が一度だけ起こるものではなく、その経験が永遠のうちに何度も繰り返されるものであるという世界観になります。

これを踏まえた上で、この世界のあるがままを受け入れて愛するという考え方が運命愛です。

永劫回帰の世界観では全ての物事はつながっているので一瞬一瞬はつながりのあるもので、一つの経験を愛することが全ての運命を愛するという最上級の重みを持った問いになるわけですね。

これをなし得た人をニーチェ的な超人というのでしょう。

一般的なレベルでこの思想は受け入れがたいものではあるとは思いますが、個人のレベルでこのような考え方が持てるようになりたいと思いました。

私は過去を振り返ったとき、今の状態になる以前の自分に対して痛さや嫌悪感を抱いてしまうのでそこを含めて自分だと愛せるようになりたいものです。

(こう思うことが既に自分の好きではない考え方に搦み取られてしまうのですが、、)

 

あまり触れていませんが、筆者の議論自体もとても面白いです。

(本の感想で著者の考えにあまり触れないのは微妙な気がしますがもう書き直す気力がないので勘弁してください)

紹介した部分を含めて浅い理解に止まってしまっているので繰り返し読みたい本ですね。

以前読んだ本とは違い、生を肯定的に捉えようと試みる本なので是非手に取ってもらえたらと思います。

 

 

 

 

とても長くなってしまいましたが、今回の感想はこんな感じになっています。

一気に数冊の感想をまとめるのは大仕事でなかなか疲れるものです。ただ本を読んで考えたことをアウトプットして整理するいい機会になっているのでいい習慣だと思うのですが、、

理想としては1〜2週間で、哲学系の本1冊と休憩として小説や軽い新書を2、3冊読みたいのですが難しそうです。

ただ今は本を読む心になっているので次の本にも手をつけたいです。

今回もここまで読んでいただきありがとうございました😊

次回も是非楽しみにしてください。

独書日記31〜『後藤さんのこと』円城塔〜

おはようございます、うどくです。

11月になりましたがいかがお過ごしでしょうか。

時の流れる速さに辟易しながら何とかその事実から目を逸らそうとしてきましたが、寒さがそれを許さない季節になってきました、、

 

今回読んだ本は円城塔『後藤さんのこと』です。

よく見るYouTuberさんが紹介していたので気になっていた本です。

これまで読んだ本の『虐殺器官』『ハーモニー』の著者、伊藤計劃の遺作である『屍者の帝国』を円城塔が書き継いで完成させたなんてつながりがあります。

 

 

 

それでは感想パートです!

 

 

 

最近は本のあらすじだったり概要を紹介するようにしていたのですが、この『後藤さんのこと』についてそのような紹介をすることは私にはできません、、

『後藤さんのこと』は題名の通り「後藤さん」についての考察がなされる作品になっています。

いったい何のことだかさっぱりわからないと思ったそこのあなた!きっと読んだとしてもよくわからないと思います。

 

この作品では「後藤さん」についての考察がいろいろなされますが、読み進めれば進めるほど「後藤さん」が何だかわからなくなります。

「後藤さん」は粒子かもしれないし、波かもしれない、はたまた新エネルギー資源かもしれない、そんなよくわからない存在なのです。

 

繰り返しますが、おそらく何度この作品を読んだと「後藤さん」が何かどころか、この作品が何を伝えようとしているのかもわからないかもしれません。

じゃあ、何でそんな本を読むのか、

それは一度読み始めてしまうと不思議とページを進めてしまう不思議な魅力がそこにはあるのです。

喩えるなら、YouTubeで理解もできない難しい数学の問題の解説や途方もない宇宙の謎についての動画を不意に見てしまう感覚に似ています。

論理はあるのかもしれないけど、果たして本当なのかどうかもわからないまま何の気なしに目で文字を追い、耳を傾けてしまうあの感覚です。

そんな楽しさがここにはあるのです。

 

 

 

こんな本を読んで考えたことを一つ

最近意識していることがありまして、それが「理解できない=つまらない」の考えを止めるということなんです。

本を読む中で「合わないなー、つまらないかも」と思うことは往々にありますし、テレビやYouTubeを見ていても同じように思うことはあります。

これってすごく勿体無いことだし、時に失礼なことだと思うようになったんです。

 

今年のキングオブコントジャルジャルが優勝したんですけど、それのネタがつまらないって言う意見がTwitterで流れて来たんですね。

それで自分で見てみたんですけど、自分にもあまりハマらなくて、これが優勝かーとか思ってたんです。

そうした時に、これがふと何でこれが優勝したんだろうって疑問に変わりまして、

と言うのも、これを審査してるのって自分よりお笑いに精通している人じゃないですか

ということは自分のセンスが足りてないんじゃないかと思ったんですよ。

テレビやYouTubeって怖いなあと思いましたね、いつの間にか見ているだけの立場の自分が評価する立場にあると思い込んでしまうなんて。

(そういう面が大事になることもありますが、

 

こうやって「理解できない=つまらない」の考えをやめようと思うに至ったんです。

これから少し発展して、自分が嫌いだと思っていたものを見直そうと思うようにもなりました。

「物事を好きか嫌いかでしか判断できない人は、語彙が貧弱なだけだ」とひろゆきが言っていて、その通りだなと思ったんです。

嫌いだと思っていたものも、掘り下げて行ったらそのものの一部だけが苦手なだけなんてことがあるかもしれません。

果たしてそれは「嫌い」何でしょうかね?

嫌いなものより好きなものの多い人生の方が楽しい気がします。

 

 

『後藤さんのこと』は不思議な本ですが、とても魅力的な本です。

表題作の他にも5作品収録されています。気になった方はぜひ手に取ってみてください。

 

 

 

今回の感想はこんな感じです。

あまりブログが書けていないですが、いろいろ併読はしているのでいずれ感想を書けて行けたらと思っています。

バイトを始めたり、たまーに対面の授業はあったりするのですが、主に書けていいない原因はポケモンにあるので自重しなければと思っています。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました😊次回も読んでいただけると嬉しいです。

 

 

独書日記30〜『話し手の意味の心理性と公共性』三木那由他〜

お久しぶりです。

9月の真ん中頃にポケモンを買いまして、それ以降全然それ以外のことに手がつかない状態でした。

一ヶ月で300時間くらいしているようで控えなければと思っているのですが、、、

 

 

 今回読んだ本は三木那由他『話し手の意味の心理性と公共性』です。

この本は春から少しずつ読み進めてきた本なのですが、ようやく読み終わりました。

テーマはコミュニケーションの哲学と言った本になっています。

著者の三木那由他さんは10月から本学の大学院の講師に着任したようで、どこかで関わる機会があるかもしれないと思うとワクワクするものがあります。

 

概要

この本のテーマは、人が何らかの行為をもって何かを意味するということがどういうことかになっています。

 

 私が窓の外を指差すことで、雨が降っているということを意味するとき、素朴にはそれは、雨が降っているということを誰かに信じさせようと意図して、私が窓の外を指差すというのと同じことであるように思える。だが待ってほしい。それだけでは私が録音した雨の音を、録音だとばれないように誰かに聞かせ、本当に雨が降っているかのように思い込ませるような場合にも成り立つ。しかし実際には、こうした場合に私が何かを意味しているだとか、私とその誰かのあいだにコミュニケーションが成り立っているだとかとは言えそうにない。何が足りないのだろうか?
 おそらく、何かを意味するためには、誰かに何かを信じさせようと意図するだけでなく、その誰かにそうした信念を抱かせようという意図を自分が持っているということもまた、相手に気づかせようと意図していなければならないのだろう。・・・

このような道筋で思考を進めるならば、ある行為をすることによって何かを意味するということを、何らかの意図、あるいは意図に関する意図、さらなる意図に関する意図……を持ってその行為をすることと同一視できそうに思える。

 

このように話し手が何を意味しようとしているのかを分析することは一筋縄でいく問題ではない。

従来この議論においては「話し手の意味」を話し手の意図を基に分析していく意図基盤意味論が有力でしたが、筆者は共同性基盤意味論を提示します。

 

共同性基盤意味論とは、話し手の意味が成り立つときには、話し手が発話に対応する信念をもっていることが、話し手と聞き手の間の集合的信念になり、その集合的信念は規範的な願意をもつという立場であると考えるものです。

簡単に言い直すと、何かを意味しようとする(コミュニケーションする)とき、彼らは人るの共同体を形成して、その意味の内容に対してあからさまに反する言動を取らないような義務が生まれるというものでしょうか。

ex.)カップルにおいて、一方は土曜にデートしようと言って2人の間で了解されたのちに、土曜に他の予定を入れたり先の約束を勝手に取り消すことができなくなる。

 

このような共同体的にコミュニケーションを捉える共同性基盤意味論は、状況ごとに異なる複数の顔を持つ個人という人間像を描き出します。

それは様々な人と出会うたびに新たな自分が増えていくダイナミックで流動的な「私」を意味します。

 

社会というものは、個々別々の個人たちが原子のように漂い、ただ寄り集まっているだけののっぺりしたものではない。各個人はほかの個人とさまざまな仕方で結びつき、新たな結びつきがその個人を更新する。それはまるで、色とりどりの絵の具があちこちに塗られ、また新たに塗られ、重ねられ、そうして描かれる華やかで重層的な風景なのだ。それが、共同性基盤意味論を通して見る、世の中の姿なのである。

 

 

感想

難しい部分が多い本ではありましたが、結論がとても好みの一冊でした。

状況ごと複数の顔を持つ人間像は、まさに私が描く人間像なのです。

 

ところで皆さんは、自分と友人の体が入れ替わってしまったときどちらが自分になると思いますか?

1.体は自分、意識は友人の存在

2.体は友人、意識は自分の存在

3.どっちも自分でない

 

この問題をツイッターでもしてみたんですが、ほとんどの人が2と回答していました。

(どちらが自分ときいたのに、どっちも違うを選択肢に加えてしまったので3を回答する人も多いのではと思いましたが、)

やはりと言っては何ですが、意識が自分である根拠と考えることが多いということですが、この本の結論を踏まえて考えると面白い考えに至るということに気づいたのです。

 

皆さんも家での自分、学校での自分、親しい友人といるときの自分、部活での自分などなど共同体に応じたいろいろな自分がいるのではないでしょうか。

家での自分のまま学校に行ったらどこか不都合が起きることがあるかもしれません。

そんなたくさんある自分の中で「本当の自分」を尋ねられたらどれだと答えるでしょうか。

これは難しい問題だと思っていて、どの自分も他の自分に影響されている部分が少なくともあるわけで「本当の自分」を言い切ることはできないものだと思うのです。

これでは、精神的な面でたくさんある自分のもととなってる「本当の自分」を見つけることはできません。

じゃあ、何をもって1人の自分として存在できているのでしょう。

 

その答えは身体になるのではないかと思うのです。

人格の根拠を意識に求めがちですが、意識の面では差異の大小に関わらず複数の人格を有するわけでそれを統合する超越論的な人格を求めようとした時には身体に行き着くというのは、とても面白い問題ではありませんか?

 

終わりに 

夏休みの間に結構本を買ったので11月までは本を買わないと心に決めていたのですが、このままでは読んでいないから買ってないだけになってしまうと焦っています。

授業も始まり夏休みよりは忙しいですが、ポケモンをやる時間は無理にでもとっているのが現状なので、そこを本に当てていきたいと思っている所存です。

 

今回も最後まで読んでいただきありがとうございました😊次回も読んでいただけると嬉しいです。

 

 

独書日記29〜最近読んだ本②〜

おはようございます、うどくです。

もう9月になり、夏休みも残り半分となりました。

 

最近メガネを新しくしたのですが、快適なものですね。

メガネをつけたままよく寝てしまうのでフレームがよく歪むのですが、そのために前のメガネは下を向くとずり落ちてしまうようなものだったので中々不便だったのです。

フレームが変わったのはメガネをつけ始めてから3回目なのですが、今回は思ったより印象が変わらなくて少し残念です。

 

 

※今回は長くなってしまったので、興味ある部分だけ目を通してみてください。

 

それでは本題に移りましょう!

 

目次

コンビニ人間村田沙耶香

本作は2016年の芥川賞受賞作です。

『火花』とのダブル受賞で話題になりましたね。

前からずっと気になっていた作品でしたが、満を辞してここで読もうと思い立ちました。

 

概要

古川恵子は36歳独身の女性であり、18年勤めているコンビニの店員として生計を立てていた。彼女はコンビニで働き、コンビニ食で腹をみたし、コンビニの店員としての自分をアイデンティティを求めるなどコンビニが彼女の生活の全てだった。そんなある日、彼女の勤めるコンビニに新人バイトとして現れた白羽は彼女の生活に疑問を投げかけて、、

 

この作品は特に大きな展開がある訳もなく、特段暗かったりハッピーであったりする話でもなく、何か人生の指針になるものがある訳でもありません。

ただちょっと普通じゃない人を通して生きづらさをありありと描き出し、読者に対して「普通とは?」というような疑問を投げかける作品です。

 

作中には、2人の世間の普通からずれた登場人物が登場します。

主人公の古川と白羽です。

2人とも自分が普通でないことは自覚していますが、それをどう受け止めるかが正反対になっています。

古川は自分を捨て徹底的に周りに合わせて普通であろうとする一方、白羽は世界の方が間違っていると考え、周りと違う特別な自分になって周りを見返そうとしています。

彼らに対し、最初は「痛い人だ」という感想を抱きましたが、段々他人事ではなく自分もこういう面があるんじゃないのか、そんな気持ちになってきました。

普通と異質の間で上手にバランスをとることができていると、上手に生きているということになるのでしょう。

 

 

 

普通がテーマということで少しずれますが、考えたことをひとつ

多様性のある社会とはどのようなものだと思いますか?

いま目指されている多様性のある社会とは一つの状況、結果であると思うのですが、多様性は不断にそれを追求している過程にこそ成り立つと思うのです。

だから、普遍的な何かを求めようとすることはエゴになってしまうかもしれません。

だからと言って、自分の思うものが正しいとしてしまったらそれもそれで多様性からは程遠い、、

じゃあ、どうするか、

私は多様性のある社会を作るには、 常に人と関わりあっていく中で暫定的な正解を探していくことが大事なのだと思います。

その暫定的な正解が、作中の「普通の押し付け」のようなものにならないように、相手を守るものではなく相手を傷つけないものにしていくのが大事なのでしょう。

(上手くまとまりませんでした、、)

 

好みが分かれる作品ではあると思いますが、一度手に取る価値はある作品だと思います。おすすめです。 

 

 

 

 

『春、死なん』紗倉まな

概要

『春、死なん』は、妻を亡くした老人の富雄は原因不明の目の異常と時々の性衝動に悩まされていた。そんな彼はある日、大学時代に一度関係を持った女性、文江と再開し、、、表題作に加え、母の性をテーマにした『ははばなれ』も収録されている。

 

『春、死なん』がテーマとする老人の性は「気持ち悪い」との思いのもと普段は考えるのを避けるような問題ですが、それがありありと描かれており考えさせられるものがありました。

 

社会の中でも、家族の中でも個人は一人ひとり自分の役職に適った人間として生きることが求められますが、個人はNPCではない、一人の個性を持った人間なんです。

これは家族の中では特に考えたくない問題かもしれませんし、普段は考えない方がうまくいくものなのでしょう。

しかし家族の一員である前に誰もが人間なんだということに対して理解がないことは辛いし孤独を感じるものなんだと思いました。

 

これを描いた場面が次になります。

富雄の所有していたエロ本が孫の静香に見つかったシーン

「きっも」

・・・「ありえないでしょ、これ。じじいのくせに」

・・・「老人は黙ってゲートボールでもしていれば満足なのか」

・・・カッと頭にまで血が滾り、しかし次の瞬間には、体から力が絞られるように抜けていき、姿勢が曲がっていく。何もかもが白日にさらされ、消えてしまいたかった。

「俺はそういう人間なんだ」

情けなくなるほどのか弱い声が出て、富雄はうつむいた。

 おじいちゃんである前に一人の男であることに理解がないことは富雄の矜持を傷つけますが、すぐに決して理解されないものだと悟り脱力感に苛まれているのが、見事に描かれています。

 

考えたことを少し、

私たちは人と暮らす中で誰もがそれぞれの一部だけをあてにして、関わり合っています。

それは共同生活では当たり前で不可欠のことですが、どこか寂しい気もしませんか?

だからと言って、「私を理解してほしい」と言って自身の理解者を求めるというのは傲慢以外のなにものでもないでしょう。

それは自分にとって都合のいい役割を他者に押し付けてしまっていて結局は自分本意なものなのです。

芦田愛菜さんの「信じる」ということに言及していたインタビューが話題になっていましたが、こういうことなのでしょう。(多少卑屈な捉え方だと思いますが、、)

つまり、聞こえのいい言葉で他人を消費しているだけなのです。

他人と対称な関係を築くには、孤独と上手く付き合っていかなければなりません。

実家に帰り改めて人と生活する中で常々こんなことを感じる最近です。

 

話はそれましたが、本作は私が今年読んだ本の中で最も惹かれた作品でした。

著者がAV女優ということで嫌厭せず、ぜひ手にとって欲しい一冊です。

 

 

 

 

 

『人間とは何か』マーク・トウェイン

概要

老人が青年に向かって人間の自由意志を否定し、人間とは全く環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械に過ぎないことを論証していく。

レポート書くにあたって目を通していたので今回読み直しました。

対話形式で話が進んでいくので、読みやすくなっていました。

 

本書で言わんとしていることは2つで

・人間は他の動物と等しく機械である(機械とは外的要因によってのみ動くという意味

・どんな行動もその衝動は利己的な欲望から生じるものである

というものだったと思います。

 

この結論は一見悲観的でショッキングなものに捉えられてしまいかねませんが、私は一種の救いにもなり得るものであると感じました。

消極的な意味においては、自己肯定感が低い人もその責任を自分以外に求められるようになります。これは一時的な処方箋にしかなり得ませんが、どうしようもない時の最後の逃げ道としては有効なものではないでしょうか。

また積極的な意味として、置かれた環境で精一杯生きようと思うことを助けるものだと思います。「親がそう言ったから〜」や「〜のせいで・・・」と今置かれた環境を悲観したくなるかもしれませんが、それが当たり前のことなんだとこの本は教えてくれます。

あとは程度の問題で自分が置かれた状況でどのように生きるか、そしてどのような環境に身をこれから投じるか、こんな風に考えることができるようになったらもっと楽しく生きることができると思います。

 

 

 

 

『自由意志』トーマス・ピンク

概要

自由意志に関する議論は古代ギリシアにまで遡る。これらの議論を振り返りながらその問題を確認しつつ、最後に筆者独自のこの問題に関する解決策を提示する。

この本もレポートを書くにあたって目を通していて再読した本です。

 

自由意志は、意志が因果的に決まる説と自由に決まる説に大きく分けられます。

本書ではこれを組み合わせた4つの考えが紹介されました。

 

・自由意志と因果的決定論は両立する

・自由意志はなく、因果決定論的に行為は行われる

・自由意志はあり、因果的決定論はない

・自由意志はなく、因果的決定論はない

 

1つ目の考え方は奇妙に思われるかもしれません。

自由な意志があると言っているのに、その意志は因果的に決定されたものだと主張しているから矛盾しているように思われます。

この考えを唱えた有名な哲学者にホッブズがいます。

彼がそう考えることができたのは、彼の考える自由が私たちの考える自由とは違っていたからなのです。

ホッブズは因果的に決定された意志による行為が阻害されなかったときが自由であるのだと考えていました。

これも奇妙なものかもしれないが、読み直して結構大事な考えなのではないかと思いました。

因果的な決定というのをもう少し広くというかわかりやすく捉えると、周りの環境による決定とも考えることができると思います。

つまり、いま自分が置かれた状況が周りの環境に流されるがままにもたらされたものだとしてもそれを自由なものだとホッブズの考え方では捉えるのです。

自由を認めることは責任を負うことを認めることであり、自分の置かれた環境が本意でなかったとしてもそれに責任を持つように考えるホッブズの論は大人になっていく上で大事なのかもしれません。

 

自由意志が何かを知るかというにはためになったが、著者の議論は個人的にはそんなに面白くはなかった。

 

 

 

『最後の秘境 東京藝大』二宮敦人

概要

著者が6年に渡って行ったインタビュー取材をもとに普通の大学とは一味違う東京藝大の姿が明かされる一冊。天才と呼ばれる藝大生の日常に迫り見えてくるのは一体、、、

芸術については疎く、そこら辺を扱う小説が読めないということでその足がかりになればということで手にとった本。

 

奇想天外なエピソードが多く楽しく読めました。

 ・入試で紙と鉛筆と消しゴムを渡され自分を表現しろという課題に対して、鉛筆の芯を顔につけそれを紙に押しつけ自画像として提出する

・体が作られる前に楽器を扱うことで骨格から変えられないと、それだけでディスアドバンテージになってしまう

etc...

 

ただ面白いだけでなく芸術に対しての真剣な姿勢も見えるので、同じ大学生の自分も頑張ろうという気持ちになりました。(小並感)

 

「私たちは音楽の末端でしかない。けれどその末端は一番美しくなければならない」という言葉が途中でありましたが、この考えは大切だなと思いました。

世界を変えようとした時、まず自分が変わらなければならないというのはよく言われます。

そのとき世界の一部分、末端である自分こそが変わってなければならないというのがなんだかしっくりきた一節でした。

 

芸術関係の小説を読む足掛かりになる本かはわかりませんが、とても楽しく読める一冊でした。

また、在学中のKing Gnuの井口さんが登場してきてびっくりしました。

そういうのが気になる人もぜひ手に取ってみてください。

 

 

 

 

 

『サル化する世界』内田樹

概要

今だけ良ければそれでいいの考えが蔓延る現代に警鐘を鳴らすとともに、そんな社会の中での生き方を問う。

社会における知性の位置づけから、敗戦をどう受け止めるか、AIと教育、人口減少、ハゲタカ問題など様々なテーマを扱うエッセイ集。

 

 内田樹といえば、センター試験の評論の問題に登場していたので読んだことのある大学生がほとんどなのではないでしょうか。

こう言った文章を解くためではなく純粋に読むということをしてみたいと手にとった次第であります。

  

面白かった部分をいくつか紹介したいと思います。

時間意識について

 時間意識は後天的で人間独自のものであると著者は考える。その根拠として、古代中国の古事成語を挙げる。「朝三暮四」で言うと、サルに対して飼い主が餌を朝4つ夕3つやるようにして餌を節約したのも飼い主が狡猾だったからではなく、飼い主自身もサルト同じように考えたからだと考えるそうだ。

今を生きる自分にしかリアリティを感じられないからこそ、後に来る不利益を考えられないのだ。これが題名にもなっている現代の目先の利益ばかりを求める現代の風潮を風刺する「サル化する社会」につながっているのだ。

 

私もよくめんどくさいことを後回しにするが、それは今の自分と未来の自分に同一性を感じることができない時間意識の弱さから来るのかもしれない。

その時の私はサルになってしまっているのだろう。自戒として忘れないでおきたい。

 

オーラルコミニケーションがより重視されるようになった件

 著者はこの風潮の一因として日本がアメリカの属国であることを指摘する。複雑な文章を読む力を軽視して、オーラルだけが重視されることを植民地の言語教育の基本であると言う。オーラルコミニケーションにおいてはネイティブが圧倒的なアドバンテージを有する。また、オーラルではその出自が一瞬で判定され、格付けされるシステムの構築に他ならないとも言う。

 

 この問題は英語教育どうこうではなく、世界のあり方そのものに関するものであるので一朝一夕で変わるものではないが、これが不公平な状況であることは認識し訴えていくことは大切かもしれない。このような言語的な覇権を握る国に対して私たちができるささやかな抵抗は、読む力を行使してネイティブに負けないほどのその国の教養を身につけていくことなのであろう。

 

いろんなテーマを扱っていて面白かったし、読みやすかったです。 

ただ結構偏っている部分もあったと思うので、こういった文章はいろんな人のを読んでいきたいと思います。

 

 

 

 

『FACT FULLESS』ハンス・ロスリング

概要

様々な思い込みをデータや事実を用いて打開していく。世界を正しくための習慣”ファクトフルネス” を解説する。

 

この本ではクイズ形式が取られていて、私たちの常識がクイズによって打破されていくのは気持ちよかったです。

特に印象的だったクイズをいくつか紹介したいと思います。

 

Q. 世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年でどう変わったでしょう?

 

A:約2倍になった

B:あまり変わっていない

C:半分になった

 

Q.世界の平均寿命はおよそ何歳でしょう?

 

A:50歳

B:60歳

C:70歳

 

Q. 世界中の30歳男性は、平均10年間の学校教育を受けています。同じ年の女性は何年間学校教育を受けているでしょう?

 

A:9年

B:6年

C:3年

 

答えはC、C、Aです。

どのくらいあたりましたか?

私は読んだときはこの3問は全て間違ってしまいました。

 

この本で何度も言われていたことは、世界は思っているよりも良くなっていると言うことでした。

それを妨げる10の思い込みを教えてくれるのがこの本です。

 

ただ、多少データの使い方が恣意的と感じる部分があったり、マクロな視点での考えのためその残りを改善するのがいかに難しいかを考えないと言う楽観的な考えになりかねなかったりする部分は気になった。

ただそこを含めての”ファクトフルネス”なのかもしれません、、

 

 

 

 

 

今回はとても長くなってしまいました。

(文量も書くのに書き上げるのにかかった時間も)

もっと哲学系の本を読みたいとも思っているのですが、難しいし何より小説が面白すぎて手が伸びません。

今回読んだ2冊はこれまで読んだ中でもトップレベルに好みだった上に、『春、死なん』に関しては期せずして本屋で出会い買った本だったので特に気に入っています。

こういう偶然気になって買った本が自分にぶっ刺さる時があるからこそ、本屋を歩くというのはやめられない!

大阪のでっかい本屋にもまた行きたいものです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました😊次回も楽しみにしていてもらえると嬉しいです。

独書日記28〜最近読んだ本〜

おはようございます、うどくです。

日が燦々と照っている中カーテンを閉めて昼まで寝てたり、本読んだりするのは最高に夏を無駄にしているという感じで休みを満喫しています。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

最近は休みということもあって、本をよく読むのでまとめて感想を書いていこうかと思ったとことであります。長期休み中はこの形式をとっていきます。(多分)

 

目次

 

破局』遠野遥

本作は最新の芥川賞受賞作となっています。

芥川賞が純文学の新人に贈られるものだと知っていましたか?私は今回知りました

 

まずはあらすじです。

主人公の陽介は毎日筋トレを欠かさず、公務員試験に向けて勉強に努める大学生。彼は母校の高校にラグビー部のコーチでもある。そんな彼が二人の女性の間で揺れ動くことになるが、最後に待ち受けるのは、、、

 

主人公の陽介は慶應boyで素敵な彼女もいたりと、所謂勝ち組大学生という感じなのですが、どこか変なところが気にかかるのです。

 

かわりに服の上から大胸筋を触らせてやると、灯は嬉しそうに笑い、それを見た私も嬉しかったか?

 

悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないと言うことはつまり、悲しくなどないということだ。

このように自分の感情がわかってないの?と思うような表現がたくさんあるのです。

他にも、「・・・だから、〜する」「・・・だから、〜しない」という行動の決め方をする部分が何度も見られました。規律に基づいて行動すること が徹底されている感じがありました。

つまりは中身が空っぽということなのでしょうか。

外面は充実しているのに内面がスカスカ、このアンバランスさがもたらすものこそ破局なのです。(なのだと思いました)

 

満足はしてるけど、なんか違うなあという日々が表現されてるような小説でした。

また気味の悪さが淡々とした文体に乗せられているというのも良かったし読みやすかった。

大学生にこそ刺さりそうな作品という印象でした。

 

 

『インストール』綿矢りさ

あらすじ

学校生活からの脱落を決断した高校生の朝子は、ある日小学生かずよしと出会う。二人はコンピューターを使って大稼ぎすることを企てる。

 

高校生のころの青臭い感じが好みの一冊で是非とも高校時代に読みたかった。

ちょっと変人ぶるけれど、何者にもなることのできない朝子が感じる焦燥感は瑞々しい高校生らしい内面の動きでまだ共感できるものでした。

私は大人になってからあるいはもっと近い将来に、いまのこの時間を無駄遣いだったと悔やむだろうか。

 こういったことを一度は思ったことあるのではないでしょうか。

この他にも高校生特有の気怠い感じや斜に構えたさまも自分に重なる部分が多くあります。

その一方で小学生のかずよしは普通じゃないくらい大人びているのが、朝子と対比されているのも高校という閉鎖的な空間にはなかった対比の対象になっていて良かったです。

 

純文学っぽい作品でしたが、非常に読みやすくて良かったです。

蹴りたい背中』も是非近いうちに読みたいと思いました。

 

『medium』相沢沙呼

本作はこのミスと本ミスのダブル受賞や本屋大賞にもノミネートされたりと話題の一昨だったということで気になっていた一冊です。

 

あらすじ

推理作家の香月史郎はあるきっかけから霊媒師、城塚翡翠と出会い彼女の力を借りながら様々な事件を解決していく。そんな中巷では連続殺人事件が起きていて、その魔の手が翡翠にも、、、 

 

霊現象を手がかりに事件を解決していくミステリーとしては変化球ですが、冷媒能力が制限付きであること、香月が霊現象を合理的な論理に昇華させる部分があるのでそこまで突飛な感じがしないのも良かったです。

この作風はいい意味でラノベっぽいという感じで非常に読みやすい印象でした。

そして翡翠ちゃんが何より可愛い!!

初版の帯には「全てが伏線」とありましたが、まさにその通りで何がなんでも最後まで読み通して欲しい一冊です。

 

 

『オブジェクタム』高山羽根子

あらすじ

大人になった主人公が小学生の頃を回想する。壁新聞、遊園地などなどいろんな事件が思い出されるが、それらはぼんやりとしたもので謎が多く起こされているのであった。

読後感としては、夢を思い出そうとするけど全体にモヤがかかってしまっているような感じでした。

 

祖父のセリフの

関係の内容な検討はずれな言葉でさえ、その集まったものが人間の脳みそみたいに精神とか、意志、倫理なんかを持っているように見える場合がある。

が全体のテーマなのかなと思っています。

昔を思い出したりしたときに何気ないことばかり思い出されたりしますが、それらにも何か意味があるように思ってしまう。それを表した作品なのかなと。

正直よくわかんない話でしたが、そのわかんなさも魅力なのかなと思わされた作品でした。

 

表題作の他にも『太陽の側の島』『 L.H.C.O.O.Q.』の2作が含まれていました。

『太陽の側の島』は3作品の中でも特に好きでした。

戦地に赴いた夫と、家に残る妻の往還書簡からなる物語なのですが、生死の境目が曖昧になっていくストーリーが美しかったです。

 

『短歌ください』穂村弘

この本は短歌がまとめられた歌集です。

ダ・ヴィンチ』という雑誌の読者投稿企画を一冊にまとめた本で短歌の横に著者の一言が添えられているのも良かったです。

 

印象に残った短歌をいくつか紹介しようと思います。

(個人の感想は野暮なので控えます)

 

人が死ぬのを見たことのない僕の 死のうただけがぽっかり浮かぶ

 

とりあえずサイゼとりあえずマックとりあえず君とりあえず舌

 

リクルートスーツでゆれる幽霊は死亡理由をはきはきしゃべる

 

逆上がりできた瞬間蝉だけが鳴いてた静かな夕方だった

 

ぎしゅぎしゅと水着を脱いで足首に紺の∞(無限)のねじれた宇宙

 

はなたば、がすべてA音であることがうれしいと言うあなた、もA音

 

少しだけ世界と分離した生で昼寝のあとにくる偏頭痛

 

読者投稿ということもあったからかだいぶ親しみやすかった。

世界の切り取り方ってほんと人それぞれなんだという発見の連続で面白かったです。

 

『一人称単数』村上春樹

この作品は、表題作を含む8つの短編からなる短編集でした。

題名にもあるように、どれも一人称視点から描かれていて自伝なのかフィクションなのかわからない作品ばかりでした。

8つの作品の中では『ウィズ・ザ・ビートルズ』が好みでした。

教科としての現代文を暗に批判してる部分があったり、なんかもう人生ってさっぱりわからんなという気分になるのが良かったです。

 

全体的に村上春樹という感じが出ていましたが、私としては短編より長編が好みかなと思いました。

 

 

 

いくつもの本の感想を書くというのはなかなか大変でした。時間もかかりました、、

思いの外忘れてしまうものですね、読むたびに書き留めておいた方が良かったのかもしれません。

いまのところ年間100冊も見えているのでこのペースを続けたいものですね。

義務になってしまうのもよくないですが、一つの大台ですからね、

 長いのに最後まで読んでいただきありがとうございました😊