独書日記32〜最近読んだ本③〜
こんにちは、うどくです。
最近寒くなってきたことには前回も触れましたが、北の方では雪が早くも降っているようで驚きです。今年は雪のない冬ということでなんだか変な感じです。
寒いと布団から出たくなくなってしまうのでエアコンをつけて暖かい部屋で寝ているのですが、そうすると眠りがだいぶ浅くなってしまうので困っています。
そんな訳か昨日は6時間も昼寝をしてしまったので、当然夜も寝れず積んでいた本の一部に手を伸ばすことになりました。
以下が今回読んだ本です。
「少年と犬」馳星周
あらすじ
東日本大震災により飼い主を失った犬、多聞は西へ西へと日本列島を横断して行こうとする。その度の中で、いろいろな人間と多聞が出会い様々な物語が紡がれていく。
このような動物を扱った作品を読むことはあまりなかったのですが、ニート東京でラッパーが著者である馳星周を薦めていたので気になり手にとった1冊です。
直木賞にも選ばれていて話題にもなっていたような気がします。
主人公は犬の多聞なのですが、旅していく中で飼い主が次々変わっていき、その飼い主ごとに一つの短編となっています。いわば連作短編集のような小説ですね。
中でも私が好きだったのは、2章の泥棒と犬です。
この章では、多聞は外国人強盗犯の手に渡り一緒に行動することになります。その中で強盗犯の母国での辛い過去が明らかになっていくようなストーリーになっています。
犯罪は悪いことで、それを犯した人が裁かれるということは当然のことです。しかし、そのバックボーンを知ってしまうと本当にそれだけでいいのかという気持ちになります。
ここで出てくる強盗犯も幼い頃から親を不幸にも失い生きていくためには犯罪をしなくてはならない状況にあり、その道から外れることができないまま今に至ったという感じでした。
犯罪者はなるべくして犯罪者になったのではなく、自分を取り巻く環境を鑑みた際に消去法的にそうなることを選んだのです。こういったことを考えると、この責任は全て個人に帰されるべきなのかとも考えさせられます。
社会の歪みは直接は表出しませんが、このように個人を媒介して犯罪という形で現れてくるのでしょう。
こんな感じで各章では違った形で社会問題に触れられるような内容になっています。
結末はよめてしまう部分はありますが、それでも感動することは間違いありません。
犬好きにハマることは間違いありませんが、特別犬が好きなわけでもない私でも十分楽しめた1冊でした。
『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編 ③』衣笠彰吾
あらすじ
真夏の無人島で、全学年で得点を争う特別試験がついに開始された。その内容は一定時間ごとに指定の場所に訪れることと島の各所で行われる課題をクリアしていき点数を重ねていくというもの。主人公綾小路は1年の七瀬翼と行動を共にすることになるが、、
追っているシリーズの最新作ということで今回も手に取りました。
ラノベを追うのは、連載中の漫画を単行本で追っていくのと同じような感じでどうしても、1冊1冊の間に時間が空いてしまうのがまどろっこしいと思ってしまいます。
内容としては大規模オリエンテーリングのようなものになっています。
あくまで前哨戦というか盛り上がるのは次巻と感じさせるような内容でしたが、十分楽しめました。
人間味がないように描かれていた主人公が、打算だけで行動しなくなっているようになってきている点など、ステリー展開とは別の変化も垣間見えました。
ただ2年生編が始まり登場人物が一気に増えたので、一人当たりの登場機会が少なくなってくるのは少し残念な部分もあります。
このような大きなイベントの様子は、様々なキャラクターからの視点を別冊で扱ってもらえたら、、と少し期待しております。
『コンビニの闇』木村義和
概要
毎日たくさんの人が利用するコンビニ。しかし、そのコンビニを経営するオーナーの労働環境は決して芳しいものではなかった。その理由は加盟店オーナーと本部の非対称的な関係にある、、?この疑問への徹底的に調査・検証がまとめられた1冊。
最近コンビニでバイトを始めたということで気になって手に取ってみた1冊です。
その内容はほとんどフランチャイズ契約の仕組みを扱ったものでしたが、ここについてもあまり詳しくなかったので興味深い内容で楽しめました。
この本で闇と語られているのは、
・コンビニ会計
・オーナーは労働者ではない
という問題です。
・コンビニ会計
これはフランチャイズ契約をしている上で、本部にロイヤルティ(権利使用対価)を払わなければならないのですが、その計算方法がコンビニ独特だというものです。
その問題点は、加盟店がたくさん商品を発注すればするほど本部は利益が出るが、加盟店は廃棄商品の負担を負わねばならず赤字になってしまうというものです。
これは本部側の意図として特定の地域にその会社の商業圏を形成し競合他社を締め出すため、近くに同一チェーン店を次々と出店させることです。これにより元からあった店舗の売り上げが落ち経営が落ちてしまうというものです。
・オーナーは労働者ではない
これは、オーナーは本部との契約内容に意見がしたくとも弱い立場にあるため意見がしづらい状況にあります。そうしたときに団体交渉権などを行使したくなりますが、コンビニオーナーは労働者とは認められていないため契約内容に対して対等な立場から意見ができないのです。
ざっくりこんな問題点があるようです。
指摘されていたことで面白かったのは、コンビニをインフラとして認められたことでコンビニ側の負担が増えたことです。
コンビニは大きな企業が元になっていますが、実際に店舗を経営しているのは個人のオーナーであるためインフラとして様々な業務を扱わなければならないことは単純に負担になってしまいます。
コンビニは大きな組織ではありますが、その各店舗は個人経営であるということを忘れがちだと気付かされました。
『最低。』紗倉まな
あらすじ
それぞれの形でAVに関わっていくことになる四人の女性が描かれている連作短編小説
以前読んだ紗倉まなさんの小説がとても自分にとてもはまったということでデビュー作の本作も読むことにしました。
(以前読んだ『春、死なん』は野間文芸新人賞にノミネートされてましたね)
今作は『少年と犬』と同じく連作短編小説となっていて、4人の女性がそれぞれの形でAVとか変わる様が描かれていました。
最初の3章では自ら出演していくのですが、最後の章では親がAVに出演していた娘を描く内容となっていて少し趣向が違ったものになっていました。
4つの章の中で、私が好きだったのは2章 桃子だったので、それについて話していきたいです。(章の名前はそれぞれに登場する女性の名になっています)
章の概要
仕事を失った石村は旅先で偶然出会った福渡に誘われAVプロダクションを設立することになる。その女優第1号として雇われたのが桃子で、田舎から出てきた彼女は石村とともに一緒に住むことになって、、
この章では、AV女優を斡旋する側の視点から描かれており色々考えさせられるものがありました。
ビジネスでものを考える福渡とどうしても情に傾いてしまう石村の違いが現れている部分を引用します。
石村「ええ。でも僕は女の子を売り物にしたいわけではないんです」
・・・
福渡「善意に溢れていることは決して悪だと思わないが、経営していくうえでその本音を軸にしていくのはさすがにのれないな、石村さん。・・・商品価値を高めることが重要なのはなにも、この業界に限った話じゃない。ブランドものだってそうだろ。大したつくりじゃなくてもあんなに高いのはネームバリューだ。ロゴを貼るだけで数百万って価値を生み出すのが本当にうまい経営のこつなんだよ。・・・」
人を”人”として扱わないというか、もののように扱うことに違和感を感じている石村の気持ちはわかる部分が多いのではないでしょうか。
しかしこのような場合に限らずいろんな場面で自分自身もそのように人に接することがあるとも思うのです。
例えば、接客をするスーパーの人は私たちにとってそれ以上でもないしそれ以下でもない存在ですが、彼ら/彼女らを店員として接することと”人”と接することとは違うと思うのです。
なぜなら、もしその店員が店員をこなすために必要なスキルを十分に備えたロボットであったとすればそのことに気づくことができないと思うからです。
私たちが店員に期待するのは店員としての仕事を不足なくこなすことであり、それが遂行されること以上のことは求めておらず究極的には人間である必要はないと思います。
(人間でないというよりは自分じゃなくてもいいという代替可能性として考えられるかもしれないですね)
このような考えを敷衍すると、誰のことも”人”として接していないんじゃないかという気持ちに陥ります。
誰かと接するとき、意識してなくとも相手に何かを求めている節があると思います。 それは一つに限らないかもしれないし、簡単に言葉にできないものではあるかもしれません。
ただしそれを満たしてくれないと感じたときにその人との関係は疎遠になってしまうのではないでしょうか。それが恋人であれば破局という形で。
自分はそんなことないと思うかもしれませんが、それは独りよがりなものかもしれません。
この章の最後には、桃子と付き合うようになった石村がお金のためにAVの過酷をこなす桃子を不憫に思いお金を渡して実家に帰るように促します。
それに対し桃子は「そういうことじゃない」と言い北村のもとを去っていくのです。
これは、桃子が石村にカッコ付きで「可哀想な子」と思われていたことに失望しての行動だと思います。桃子にとっては自分の境遇がどんなに客観的に見れば不便だとしても、それが自分でそこに一種の誇りを感じてすらいたのではないでしょうか。
しかし石村はそんな桃子の全てを肯定することはできなかったのです。桃子の一部を「可哀想」と括弧をつけて桃子から切り離そうとしたのです。
1人の人を丸ごと肯定することはできなかったわけです。
石村の行動は決して悪いものではないかもしれませんが、そこには石村も結局は桃子の全てを桃子として見ることはできなかったということでしょう。
そうは言っても、ここでの”人”としての関わりは体力のいるものではあり現実的ではないかもしれませんが、このことに自覚的でありたいものです。
『生まれてこないほうが良かったのか?』森岡正博
概要
長い間問題とされてきた「生まれてこないほうが良かったのではないか」という思想に関連しれ、古代ギリシャやインドの思想からショーペンハウエルやニーチェ、ベネターの哲学を概観する。それを踏まえて、反出生主義を超克し誕生を肯定することを試みる。
以前ベネターの反出生主義の本を読んだので今回この本を手に取ることにしました。
この本はいろいろな思想が扱われますが、どれも丁寧に解説がなされているので勉強になります。
出生が善か悪かという観点からいろんな哲学者の思想を学べるのも面白かったです。
特に印象に残っているのはブッダの哲学とニーチェの思想でした。
・ブッダの哲学
仏教しそうといえば輪廻思想が特徴ですが、苦しみに溢れた生から解脱を目指すこの思想はつまりもう生まれてこないことを望む反出生主義的側面があると一見考えられます。
しかし著者はこれを反転させるのです。輪廻思想では人間以外の生物に転生することもありますが、涅槃となり解脱が叶うのは人間になったときだけです。
そこから「人間として生まれてきて良かった」という正反対の帰結がもたらされるのです。一方次に生まれることは拒否していることから出生を拒否する面もあるこの思想の2面性が指摘されるのです。
このような逆転の発想は、常に持っておきたいと思いました。
・ニーチェの哲学
「神は死んだ」で有名なニーチェですが、彼の哲学は強く人生を肯定するようなものになっています。
その根幹をなす永劫回帰や運命愛の思想は個人的にはとても好みでした。
永劫回帰とは一つの経験が一度だけ起こるものではなく、その経験が永遠のうちに何度も繰り返されるものであるという世界観になります。
これを踏まえた上で、この世界のあるがままを受け入れて愛するという考え方が運命愛です。
永劫回帰の世界観では全ての物事はつながっているので一瞬一瞬はつながりのあるもので、一つの経験を愛することが全ての運命を愛するという最上級の重みを持った問いになるわけですね。
これをなし得た人をニーチェ的な超人というのでしょう。
一般的なレベルでこの思想は受け入れがたいものではあるとは思いますが、個人のレベルでこのような考え方が持てるようになりたいと思いました。
私は過去を振り返ったとき、今の状態になる以前の自分に対して痛さや嫌悪感を抱いてしまうのでそこを含めて自分だと愛せるようになりたいものです。
(こう思うことが既に自分の好きではない考え方に搦み取られてしまうのですが、、)
あまり触れていませんが、筆者の議論自体もとても面白いです。
(本の感想で著者の考えにあまり触れないのは微妙な気がしますがもう書き直す気力がないので勘弁してください)
紹介した部分を含めて浅い理解に止まってしまっているので繰り返し読みたい本ですね。
以前読んだ本とは違い、生を肯定的に捉えようと試みる本なので是非手に取ってもらえたらと思います。
とても長くなってしまいましたが、今回の感想はこんな感じになっています。
一気に数冊の感想をまとめるのは大仕事でなかなか疲れるものです。ただ本を読んで考えたことをアウトプットして整理するいい機会になっているのでいい習慣だと思うのですが、、
理想としては1〜2週間で、哲学系の本1冊と休憩として小説や軽い新書を2、3冊読みたいのですが難しそうです。
ただ今は本を読む心になっているので次の本にも手をつけたいです。
今回もここまで読んでいただきありがとうございました😊
次回も是非楽しみにしてください。