独書日記37〜『きみが夢に出てきたよ』モモコグミカンパニー〜
こんにちは、うどくです。
皆さんは物事を続けるのは得意ですか?私は苦手です。
大学に入ってから、何かを始めようと自分で思っても全く続かず困っています。
これが面倒なことだけでなく、好きなことにも当てはまってしまうんです。
私が好きなもので真っ先に上げるものといえばポケモンなんですが、小学1年生からゲームを始めて以来ずっとコンスタントにやっているという訳ではないんです。
小学3、4年生はサッカーに没頭してましたし、高2、3も全く触れていませんでした。
これが最も顕著に出るのが音楽で、一ヶ月周期で飽きが来ると言うか、新しいものにはまってしまうんです。(ハマっている時は耳にタコができるほど聴くのですが、、)
そんな訳で好きな歌手だったり、アーティストを聞かれると困ってしまうんですよね。
前語りがだいぶ長くなってしまいました。
今回読んだ本は
モモコグミカンパニー『きみが夢に出てきたよ』です。
著者はBISHのメンバーです。
少し前にTwitterで著者の
本の中の言葉はSNS上のとは違って、拡散するものでもなくて、自分の心に留めておくものだと思う。SNSと同じ、"言葉"でも読んだ人にしかわからないっていう、閉じていることが本の魅力だと思う。
というツイートに何回いいねしてもしたりない程に共感しまして、そこから高校生のどっかではまっていたBISHに再びはまっているという状況にいます。
最近読んでいた本が重めのものばっかりだったので箸休め(と言っちゃなんですが)としてはちょうどいいんじゃないかということで今回はこの本を読むことにしました。
以下本の内容紹介と感想になっています。
この本は28作のエッセイが収められたエッセイ集になっています。
クラウドファンデングを通して制作された本で、支援者に毎週書き下ろしのエッセイを配信にそれについての反応をもらいながら書いていくという方法で書かれています。
そんな訳で、一つひとつは独立しているエッセイのなかにつながりを感じることができました。
エッセイも著者のモモコグミカンパニーとしての活動を通してや日常生活の中で気付いたことが書かれていました。
中でも好きだったものを何作か紹介したいと思います。
(閉じている本を大事にする著者を尊重して、内容については語りすぎず、感想を多めにしようと思います。
愛すべき無駄時間
コロナ禍においてリモートワークが広まったために、無駄が省かれるようになったことについて考えたことが綴られています。
私自身、効率や生産性というものが強調される社会には生きづらさを感じていたので共感できました。
国会議員のLGBTの人々に対する生産性がないと発言したことが、人を生産性という価値観で測ることは残酷なことであり暴力的とすら思えませんか?
物事に関しても、効率の悪いものを「無駄」と切り捨ててしまうことは少し寂しさを感じる部分があります。
私がこれを強く実感するのは大学の授業です。
確かにオンライン授業は十分授業としての役割は果たせていますし、何ならキャンパスに行く時間が省けてゆとりのある生活を送れています。
ただキャンパスの中を歩くときの高揚感(最初だけでしょうが)を感じたり、知らない人に囲まれ難しい内容の授業を受ける緊張してみたり、授業中の周りの人と話してみたりという経験はなくなってしまいました。
楽さを感じる一方で、得られる経験がなんだか無機質なものになってしまったように私には思えてしまうのです。
一つ言えることは、無駄を愛する心の余裕を持つことは人生を豊かなものにしてくれるということだと思います。
ユニークになりたい
ユニークな人に憧れを感じている著者がユニークになるために、ユニークであるために心がけていることが綴られています。
私もユニークな人には憧れると同時に自分もそうなりたいと思っています。
(なんだか子どもっぽいと思いますが、、
ただユニークに憧れることもユニークになろうとすることも「ユニーク」な行為ではないなと気づきました。
ユニークであろうとする人は多くいて、ユニークを目指すことは自分もその1人になることです。
ユニークは状態ではなく結果でしかないということでしょう。
では、ユニークな人とはどんな人なのか。
それは自分に正直な人でしょう。
誰1人として同じ人間はいない訳で、自分に正直であることはonly1の生き方をしているということです。
他人と比較してユニークになるのではなく、自分に目を向けてユニークである。
このような目線の向け方を心に留めたいと思いました。
エッセイということで、筆者ならではの体験に基づいて書かれており伝えたいことが生きたものとして受け取ることができました。
文体も柔らかく読みやすかったです。
BISHやモモコグミカンパニーを知らない人でも楽しめる1冊だと思います。
今回の感想はこんな感じです。
著者のツイートにあった「本の閉じているという魅力」は大事にしていきたいとつよく感じました。
この思いをより一層強くしたのは記事を読みまして、それが下の記事になります。
この記事は東浩之氏が新しい配信プラットホームを開発するにあたって考えたことが綴られています。
話題の中心に据えられているのは「無料」というものです。
東氏は無料こそ諸悪の根元だと考えています。
哲学者は昔から商品交換と私有は貧困や争いを産むものでしかなく、贈与や共有の社会こそ望ましいと考えました。
それを社会主義によらず達成したのが、テクノロジーとビジネスモデルが融合して実現したネットなのです。
ただ、東氏は疑問を呈します「無料は必ずしも善であるか?」と。
ネットの無料配布は、ポストトゥルース(客観的な事実や真実が重視されない時代)やフェイクニュースを生み出しました。
エンターテイメントの無料配布は、一握りのYouTuberに富が集中する不健康な生態系を、評判の無料配布は荒廃したSNSを生み出したと指摘します。
加えて、これが無料配布できるのは企業の肩代わりがあるとも指摘します。
その費用は広告費などによって埋め合わせられるが、企業は大量の広告を集め自身の価値を上げるためユーザー(数)を最大化することを運命付けられてしまいます。
その結果、それらの企業が提供するサービスはその特性関係なく一様なものになるのです。
(TwitterやYouTubeにインスタのストーリー機能のようなものが導入されました)
世界中のあらゆる人が同じデザインの同じデバイスで、同じデザインの同じアプリで、同じようなニュースにいいねをおす。
無料は文化の多様性を押し殺しつつある。
これがディストピアでなくて何なんだと東氏は言います。
このような視点は持ったことがなく目から鱗でした。
そんな中でやはり、「閉じられている」本の存在は大事にされなければならないと私は思います。
身銭を切ってどの本を買うか選択し、本を開いて、著者と1対1の対話を行う。
本が有る限り著者の多様性に飲み込まれない独自性は保たれるが、その本を選択していると同時に私たち自身も独自性を表明していると言えるでしょう。
本を買うということは、1人では非力な私が迫りくるディストピアに対抗する一つの方法である。
こんなたいそうなことに託けて、私はこれからもたくさん本を買って、本を積んでいくことにしたいと思いました。
これまでエッセイというものを読んでこなかったのですが、なかなか良いものだと思いました。
また面白そうなものを見つけたら手に取ってみたいと思います。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます😊
次回も楽しみにしていただけると幸いです。