独書日記25〜『賢人ナータン』レッシング〜
こんばんは、うどくです。
ついに夏休みが始まりました!!!!!!👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
夏休みを謳歌するぞーーーーー💪
と言っても、読書とアマプラにに耽ることになりそうですが(泣)
今回読んだ本はレッシングの『賢人ナータン』
この本はドイツの文化・芸術という授業のレポートを書くにあたって読んだ本です。
中々見つからなくてネットの古本屋で購入したというものです。がっつりボロボロでビビるくらいの一冊でした。
それでは感想パートに行きましょう!
まずこの本のあらすじです。
ユダヤ人のナータンはオスマン帝国の治世下にあるイェルサレムに暮らす商人。その地でナータンとキリスト教徒の聖堂騎士、イスラム教の頂点スルタンのサラディンが関わり合っていくことになって、、、
こんな感じでユダヤ人が中心となって話が進んでいくことになります。
ユダヤ人が非ユダヤ人社会で生きる難しさが随所に現れています。
「根っからのユダヤ人でいたいと思っても、もうそうはいかない。まして、 ユダヤ人でなくなろうとしても、それはもっと難しい!」
これはナータンのセリフでですが、とても含蓄があるものに思われます。
かの大詩人ハイネは、19世紀のドイツに生きた人物でありますが彼もまたユダヤ人でありました。彼はキリスト教の洗礼を受け、キリスト教社会へと馴染もうとしました。しかし、そんな彼は周りからキリスト教徒と認められることはなく、また洗礼を受けた彼はユダヤ人社会からも脱落することになってしまった。結局、彼はどの社会からもはみ出した何者でもない自分に苦しんだのでありました。
これとナータンは非常に通じるものであると思われます。日本は基本的に単一民族であるがために、民族間の壁を感じにくいように思われます。
民族を超えて〜と言いますが、それがいかに難しいことかが伺われます。(某感染症に罹ってしまった人に対する差別にも似たものが見える気もします)
自分が変わるというものは思ったより難しいことなのかもしれません。(民族に関わらず)自分の弱さを変えようと思って強くなったとしても、その強さは純なものではなく、弱さがあったからこその強さだという風に。
考えすぎですかね、、
この本は戯曲となっていて初めてこの形式を読みましたが、慣れないものでした、
しかし、喜劇として描かれているためテンポよく進む物語は心地よいものでした。
おすすめの1冊です。
今回の感想はこんな感じです。
休みはだらけてしまいがちですが、今年こそは有効に使うぞと意気込んでおります。
哲学、語学この2本柱は最低限ある程度の進捗を生み出したいものです。
ここまで読んでいただきありがとうございました😊次回もぜひ楽しみにしてください。