独書は毒っしょ

読書の記録

独書日記16〜『星が吸う水』村田沙耶香〜

まる一ヶ月ぶりとなってしまいました、うどくです。

6月は忙しかったと言えばまあ忙しかったのですが、何より文章を書くという気力が起きず更新してなかった次第でした。しかし、何冊か本自体は読んでいたので何日かに渡って連投になるかと。

 

今回読んだ本は村田沙耶香さんの『星が吸う水』です。村田沙耶香さんと言えば『コンビニ人間』で前回のオリンピックの年に芥川賞をとっている人ですね。(多分)表紙が綺麗だったのとツイッターで読んだ人が知り合いでいたので気になっていたということもあり手に取りました。

 

それではここからは感想パートです。


 

この小説は主人公の鶴子が性のあり方について疑問に持っている話です。疑問に持っているだけかよ!と突っ込んだかもしれませんが、鶴子の性に向き合う姿勢は答えは出なくとも考えさせられる部分が大きいと感じました。

鶴子は自身の性欲に素直というか貪欲という表現が正しいのでしょうか、映画を見に行ったりご飯を食べたりするよりも、自身の欲の解消のために性行為を行っていたいと思う性格なのです。(これが性格という形容が正しいかはわかりませんが)

一方で彼女の友人の梓は自信が女性ということに矜持を抱いていて、自分の価値を高めようと努力する人です。また、もう一人の友人の志保は自信が恋愛感情も性欲も抱かないことを特殊なことだと思い悩んでいる節があります。
鶴子は、性に対する考えが自分は他の人が違うとしてもそれは当たり前で、寧ろ一人ひとり違うべきであるのだと考えているようでした。しかし、この考えは二人には理想論であると一蹴されてしまうのですが、どう考えますか。

 

このような鶴子の考えが現れている文中の表現をいくつか紹介したいと思います。

とっておきのオーダーメイドのコートを着ているのに、既製品を着ている人に変だと言われているような、奇妙なことに思えた。

これは言い得て妙であると思いました。鶴子は女性とは、セックスとは何かを(鶴子の言葉を借りると)”作っている”のに、ただ世間一般の言葉の意味に従っている人に違和感を覚えるのも無理はないかもしれません。
また別の文中の表現として

絶頂は、いくらそれ自体が無垢なものであっても。外気にさらした瞬間、あっという間にいろんな理論や、脳から生えたねばついた手が伸びてきて汚されてしまう。だから、鶴子は自分の無性を守ろうと思った。

がありました。これは鶴子が”作った”言葉は自身の外に出してしまうと、一般的なその言葉の意味や固定観念によって汚されてしまうということの喩えとなっています。

決まった言葉や概念に囚われずのびのびと自分らしく生きたいと思う一方で、それが世間には簡単には受け入れられず難しいことだとも思わされる一冊でした。



今回の感想はこんな感じです。今回はここまできて引用という編集項目があることに気づきました。
話はそれますが、議論の上でよく「考え方は人それぞれだから」という言葉が用いられると思います。この言葉の否定は多様性を真っ向から否定するようで議論の中で登場したならこれ以上どうにもならない無敵ともいえる言葉です。しかし、このような相対主義をとる立場こそ相対化されるべきではないかとも思う最近です。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました😊最後は一言一人暮らし日記です。

一言一人暮らし日記:一つ歳を重ねていくっ!