独書は毒っしょ

読書の記録

独書日記22〜『1984年』ジョージ・オーウェル〜

おはようございます!うどくです。

某ウイルスの感染者が再び増え始めていることになんだかなーという思いです。まあ、基本家から出ない身としてはあまり影響ないのですが、

 

今回読んだ本はジョージ・オーウェルの『1984年』です。有名な作品なので名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

読み始めたのは5月とかだったと思うのですが、なんせ500ページくらいあって大ボリュームということで何回か挫折してついに読み終えたという感じです。

 

これからが感想パートです。

 

 

この作品の概要としては、核戦争を経て世界に3つの大国が分割統治が敷かれた1984年において、その一国のオセアニアの所謂官僚のウィンストンが繰り広げる物語になっています。

オセアニア厳しい監視体制が整えられていて、国を統治する党とその長<ビッグ・ブラザー>への崇拝は絶対となっています。このような体制に主人公は疑問を感じていて、、という感じで展開していきます。

(話の筋には今回はあまり触れないことにします。気になる人は手に取ってみてください)

 

読んでいて一番印象に残っていたのは二重思考というものです。これはオセアニアで党員に課される望ましい理想的な思考方法で、矛盾する二つのものを等しく信じることができる思考法です。これは人々を統治するには持ってこいの考え方で、たとえ党が理不尽なことを行ったとしてもそれを理不尽と認めた上で容認できるようになるのです。これが、権力の維持に大きく貢献することは言うまでもありませんね。

ここまで聞いてそんなものが成り立つわけがないと思いましたか? そんなことはないのです。この考え方は現在の私たちの日常生活にも根深く存在しているし、また同じ仕方で権力の維持にも一役買っていると私は思いました。

日常レベルでは「痩せたい、けどお菓子やラーメンを食べたい」などこのような単純なものも<二重思考>にあたるでしょう。(これはそこまで大きな問題だと思いませんが、、)政治のレベルで考えるなら「与党がベストでないのは知っているが、与党を支持している」こんな人が多いのではないのでしょうか。このような現状が現政権の長期化の要因の一つかもしれません。

このような意味で<二重思考>を一つのテーマにしている本作品も今の時代に読んでも考えさせる部分も大きいと感じました。ただ<二重思考>には矛盾を超克して止揚するための手段となりうることもあり、一概に悪いとは言えないかもしれません。

 

もう一つ印象に残った部分として「罰」と言うもののあり方についてです。

主人公ウィンストンは「自由とは2+2=4であるといえる自由である」と言いますが、オセアニアでは党が言うこと次第でその答えは3にも5にもなるのです。(オセアニアじゃあ常識なんだよ」と言わんばかりに

これを矯正、治療するために「罰」を与えることは許されることでしょうか。これは悪に対して罰を与える応酬刑に対する、治療を目的とした目的刑にあたるものだと思うのですが、治療の名目の元に何もかも正当化されるべきか或いはその手段についても目を向けなきゃなあと思わされます。(結局は倫理の問題に落ち着きますね、)

 

だいぶ長くなってしまったのでここらへんでやめようと思います。

一冊読み終わった後の読了感は圧巻のものがあります。大きなものの前での無力感や恐怖を感じる本ではありましたが、何度も読み返す価値がある一冊だと思ったのでいつかまた読み返したいです。

 

今回の感想はこんな感じです。

話が戻るようですが、昨晩Twitterのトレンド1位に#大学生の日常も大事だがあがっていました。皆さんはどう思いますか。

私自身としてはこの生活に慣れてしまったということでいざ対面となったら億劫に思うと思うので後期はオンラインでも、、という気にもなっています。(まだ専修も始まらないですし、最初はあれほど首肯しがたかったオンラインにもこのような心境になっている自分に驚きです。慣れは怖いですね。(尚、本学も後期オンライン濃厚との噂がちらほら

今日もここまで読んでいただきありがとうございました😊最後は一言一人暮らし日記です!

 

一言一人暮らし日記:生活リズムが完成したと思い込むのは落とし穴?!